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神聖な存在(神様)が求められること。。。

2016年02月07日

先日、ふと昔小学校の国語の教科書にあった内容を
思い出しました。

どのような内容かは詳しく覚えてはいないのですが、
キリスト教が弾圧されていた時代の外国人宣教師が
牢に閉じ込められ、改宗しろと拷問をかけられている
キリスト教を信仰している仲間の声。。。

どうか助けて下さい。何度も祈るのに届かない祈り。
その内に、神々に対してどうしてこのようなことを
なさるのか。。。
自分が間違っているのか!?
何を求められているのか!?
様々な思いに苦しみ、最後は神はいないのか!?と問い、
改宗しようかどうかを悩んでいる心情を事細やかに
表現されていた気がします。
残念なことに、最後どのような結末だったかは覚えて
いないのですが、子供心にすごく強烈だったのでしょう、
そして、テーマに近いものだったのかもしれませんが
時にこの教科書の内容を思い出すことがあります。

人の為、救うために宣教師になり、海外まできたこの
宣教師は何が違っていたのだろう。。。
このような困難に出会うという事は、何かしら気付いて
欲しい事があったはずだ。。。
自問自答し、気付いたことは、
・人に尽くすのと犠牲になるのは違うということ。
・宗教の中で清貧や自己犠牲の精神を説かれることも
 よくあると思いますが、上の方々はそんなことを
 望んではおられないということ
・人を救う為という意図が最初からずれていた。
 人を救うのではなく、人を幸せにする為に尽力すること
 の方が大切だった
という事です。
何だかやっとスッキリしました。

意図の方向性をしんどい方々が楽になるようにではなく
みんなが喜びいっぱいに幸せになることを意図の目的に
少し方向転換する必要性を感じました。
これからも受け取るべきところは受け取り、しっかりと
進んでいきたいと思います。
皆さまにも、もっともっと幸せになる為のコツをお伝え
していきますね。
弥栄

ほっとぷれいす
天真結
posted by ほっとまむ at 01:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | ほっと一息
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